楽浪(ささなみ)の比良山風の海吹かば釣りする海人(あま)の袖反る見ゆ(万葉集巻9)
滋賀県湖西地方は、狭い平地に西側から比叡・比良山系が迫り、東には琵琶湖が広がる。右記の詠み人知らずの歌はそんな土地柄を詠んだもので、大津市南小松に歌碑がある。釣り人の袖をふわりと翻す優しい風が比良山系から吹き下ろしてさざ波の湖面を抜けていく。のどかな湖畔の光景が目に浮かぶのだ。
(藤浦淳)
白く厳しい風景の中で
さて、歌に導かれるように現場を歩いてみると、傾斜が比良山系に向けて強くなるあたり、石垣を組んだ棚田が広がる中をJR湖西線が縦断している。線路をくぐって山側へ立って見下ろすと、わずかな集落の向こうに湖水が広がる、見事な景色が続く。
しかしのどかではなかった。季節は1月中旬。積雪は数十センチ。北小松駅から北へ歩く道中も、強い風が山から吹き付けて、重く湿った雪が斜めに降りしきる。撮影ポイントを捜して、国道から線路の方向へ伸びる脇道を一本一本歩いてみるが、雑木林が邪魔だったり手前の農小屋が写り込んだりと、なかなか思うようにいかない。
それでも白い景色は凛(りん)とした厳しさの中に埋もれ、行き交う電車や民家の屋根など白以外の色を一層浮かび上がらせる。雪景色はこのコントラストの妙がいいのだ。狙いはラストラン間近のトワイライト・エクスプレス。しかし走ってくる時間までまだ2時間以上ある。
宮沢賢治の詩の世界
雲行きは不安定。宮沢賢治が詠んだ東北の空と同じような「蒼鉛色の空から」(永訣の朝)雪が吹き付けるかと思えば、「仰げばそらはTourquoisの」(アルファベットのルビはターキス=トルコ石、歌稿B)ように青く晴れる。
大津市北小松から高島市鵜川に変る辺り、雪山をバックにトルコ石のような青空の下、棚田の中を走る北陸線特急・サンダーバードが優雅に見える。もちろんこんな雪景色の中では、普通列車でさえフォトジェニック。ワイドレンズで行き交う電車の撮影を堪能した。
さて、高島市鵜川に入り、川を越えてすぐ山側へ上がる道をたどると、いたいた。高架下から大きなカーブでトワイライトを狙う撮り鉄のカメラの放列。しかしここでは列車しか写りそうにない。
せっかくの湖西地方なのだ。ここはどうしても広々とした風景を入れたい。高架をくぐって棚田の間の道を数百メートル歩き、高架や集落を見渡せる場所に空き地を見つけ、三脚を立てた。
関西での雪景色は見納めかも
望遠レンズの写りを試しながらトワイライト・エクスプレスを待つ。近くに同じ風景狙いの人が5〜6人。思い思いの場所で思い思いのレンズをつけて、待っている。
止んでいた雪が横殴りに降り始めたころ、ヘッドライトをつけた電気機関車を先頭に、トワイライトが北海道から長旅をして帰ってきた。
モスグリーンの客車が黒っぽく見える。最後の冬は東北や北海道の大雪に見舞われたトワイライトエクスプレス。乗り鉄さんならずとも、48時間遅れともなると「むしろラッキー」との声もあったようだ。雪の少ない関西で撮影できるトワイライトの「最後の雪景色かも」と思うと感慨深い。
やがて雪が止み、高架の向こうの小さな集落の頭越しに、広々とした湖水が現れた。 |