琵琶湖に村が沈んだとされる湖底遺跡のひとつ三ツ矢千軒遺跡(滋賀県高島町永田)の水没時期が定説の17世紀よりさらに4、5世紀さかのぼる可能性が出てきたことを、滋賀県立大の林博通助教授(日本考古学)がこのほど調査報告書で発表した。
村が水没したとされる湖底遺跡は琵琶湖に12ある。林助教授らの研究チームはそのなかの三ツ矢千軒遺跡について実際に村が水没したかどうかを確めるため、1997年から高島町永田沖15メートルから130メートルの間の湖底を潜水や水中ロボットで調査。調査区域の北側でL字型に約105メートル続く石垣やさらに約130メートル南で柳など立木の株や角柱をこれまでに見つけ、村の水没の伝承を裏付けた。
遺跡は古地図の比較などから、1662(寛文2)年の大地震(推定マグニチュード7)で水没したとみられていたが、研究チームは放射性炭素年代法で遺物を測定。その結果、柳の株は水没で11世紀前半−12世紀前半に枯れ、2本の角柱は8−10世紀半ばに伐採された可能性が強まった。林助教授は柳の枯れた年が水没年と関係が深いとみている。
石垣は一緒に出土した石仏や杭から、15世紀後半−16世紀の築造とみられ、石垣と周辺の地域は別の時期に水没した可能性もあるとしている。
林助教授は「測定結果に誤差があるため、水没年代の特定には慎重さが必要だ。さらに研究を進め、年代、水没原因などが明らかになれば、今後、起こりうる琵琶湖西岸断層帯での地震被害予測などに役立つはずだ」と話している。
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